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【特別公開】アラン・ケイ氏が9つの質問に回答!セッション後の追加QAを公開

公開日 2025.10.21
【特別公開】アラン・ケイ氏が9つの質問に回答!セッション後の追加QAを公開

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ニジボックスの案件事例をご紹介!


計算機科学の基礎研究者であるアラン・ケイ氏が、株式会社ニジボックス主催の『POST Dev 2025』に登壇。「GUIと歩んだ75年 〜私の見てきたユーザーインターフェース〜75 Years Of GUIs — a personal perspective on user interfaces」というテーマで、グラフィカルユーザーインターフェース(GUI)を中心に、1950年以降のイノベーションの歴史をたどり、現在の最新動向に触れつつ、今後私たちが体験するかもしれない未来の姿についての展望を語りました。

今回の記事では、イベント当日のセッションで回答しきれなかった皆さまからのご質問に対し、後日アラン・ケイ氏から特別にいただいたご回答をご紹介します。 

また、アラン・ケイ氏のセッション動画は12月末公開を目途に現在準備中です。

AIをセラピー利用することの是非

Question

AIをセラピーとして使う人がいますが、私はそれは本当に良くないと思います。それはUIが悪いせいなのでしょうか?

Answer

私もAIをセラピーとして使うのは、良くない考えだと思います。良くないと思う主な理由は、「AI」が人間の命を託すほど十分に優れていないからです。
「Duty of Care(注意義務)」という考え方があります。これは、医師やエンジニア(および彼らの行為)に対して、一般の人々よりも高い基準を求めるというものです。エンジニアリングの場合、私たちはその成果が人間そのものよりもはるかに信頼でき、安全であることを求めます。

I also think it’s a bad idea. The main reason it’s bad is that the “AI”s aren’t good enough to be trusted with human lives. There’s an idea “Duty of Care” which means we hold doctors and engineers (and what they do) to higher standards than for most human beings. In the case of engineering, we want the results to be much more reliable and safe than humans themselves are.

 コンピューター革命はまだ起きていないのか?

Question

OOPSLA1997 の講演では「コンピューター革命はまだ起きていない」というお話をしていただいていましたが、今回の講演をふまえても、まだコンピューター革命は起きておらず、AI時代において我々は新たな発明、AHAをおこしていくためには、どのような視野や挑戦をすべきとお考えでしょうか?

Answer

「ある」革命は起きましたが、それは私たちが望んでいたものではありませんでした。私たちが望んでいたのは、人々―特に有権者―が自分たちの世界をもっとよく理解し、それについてより明晰に考えられるように支援することでした。

しかし実際には、商業的な利益が「スーパー・リアリティ番組」のような方向に流れ、人々の世界に対する感覚を逆に低い水準へと再正規化してしまいました。
私たちが切実に必要としているのは、コンピューター登場以前よりも優れた人間であり、劣化した人間ではありません。私たち自身の状況と条件について、「アハ!」と思えるような瞬間が必要なのです。

“A” revolution has happened, just not the one we hoped for. We were hoping that we could help people — especially voting citizens — to both have a much better understanding of their world, and to think more clearly about it. Instead, the commercial interests went for something more like “super reality TV”. and have re-normalized downwards people’s sense of their world. We desperately need humans that are better than before computers, not worse. We need an “Aha” moment about our own situation and condition.

ユーザーによるプログラミングは今も望ましいか?

Question

今ある「パーソナルコンピューター」は、ユーザーが自らプログラミングして機能を得るかわりに、売られているソフトウェアを買ってきて利用するようになっていますが、自らプログラミングできることは今でも本当は望ましいものなのでしょうか、またそれはAIによって実現可能なものでしょうか。

Answer

注目すべきなのは、プログラマーと「知恵」―あるいは大部分の「知識」との間には相関がないように見える、という点です。したがって、プログラミングそのものを学ぶことが目的ではありません。

科学の多くは「見えないものを見えるようにする」ことです。特に、特別な思考方法がなければ、私たちの宇宙の大部分は見えない、という事実に気づくことも含まれます。私は今でも、科学を特別なやり方で教えることが、子どもたちを―単により多くの知識を持つだけでなく―より賢明に成長させる助けになると考えています。

私は、ある種のコンピューティングが、科学を見る新しい方法のための新しい数学となり得ると思います。そして、新しい種類のプログラミングが、世界を理解する新しい方法のための新しい数学となり得ると考えています。
(これは、多くの人々―そして多くのプログラマー自身―が自分のしていることをどう考えているかとは、大きくかけ離れています。)

It’s worth noticing that there seems to be no correlation between programmers and wisdom — or even most knowledge. So programming per se is not the thing to learn.

Much of Science is “making the invisible visible” including noticing that most of our universe is invisible to us without special ways of thinking. I still think that teaching Science in a very special way could help children grow up — not just more knowledgeable — but much wiser. I think a form of computing could be a new kind of mathematics for these new ways of looking at science — and that new kinds of programming could be a new kind of mathematics for the new ways to understand the world. (This is a great distance from the way most people — and most programmers — think about what they are doing.)

 インターフェースの専門家がシステムの根幹に関わることについて

Question

アラン・ケイ先生への質問です。先生はインターフェースの専門家がシステムの根幹に関わるべきだとおっしゃいました。「間」の考えも取り入れることを含めて、それは一つの新しい思想となりますでしょうか?もしそうならどのように名付けられますか?

Answer

それはむしろ、ユーザーインターフェースの必要性を再発明し、さらに発展させることに近いと思います。(現在のユーザーインターフェースはかなり単純化されてしまっていますが、過去のものよりもはるかに優れている必要があります。
もし「ユーザーインターフェース」という言葉が、今やほとんど意味を持たなくなっているのであれば、新しい用語を考え出す必要があるかもしれません。

I think it would be more like re-inventing and carrying further the need for user interfaces (which now are quite dumbed down, but need to be much better than the past). We might need to come up with a new term if “User Interface” now means so little.

AIにおける商業主義的な人間活動自動化への危惧

Question

パーソナルコンピューター、インターネット、情報技術の革新には常に優れた思想家による人間能力の拡張がビジョンとして示されていたかと思います。AIにおいては、商業主義的な人間活動の自動化としてのヴィジョンが支配的で危惧しているのですがお見識を伺いたいです。

Answer

「文明」そして、より文明的になるというのは、大きな理念です。お金を稼ぐことは小さな理念にすぎません。もし後者が主な動機であるならば、文明は深刻な危機に陥っていると言えます(そして実際そうなっています)。

“Civilization” and getting more civilized are big ideas. Making money is a tiny idea. If the latter is the main motivation, then civilization is in deep trouble (and is).

AI時代でも「Undo」「拡張性」は変わらず重要か?

Question

現在人気なAIツールは、対話方法にチャット型のUIを採用しています。私はこの方法では「モードレス」とは逆のユーザー体験に寄っていくのではないかと考えています。ケイ氏はセッションの中で、GUIにおける「Undo」の重要性や、ユーザーが自らメディアを拡張できることの意義を説いておられました。これらのことは、AIを含む新しいコンピューティングにおいても変わらず重要なトピックであり続けるのでしょうか?

Answer

今日の「AI」についてまず理解すべきことは、それらがまったく知的ではないということです(そして、単にスケーリングによってそこに到達しようとするのは、ほぼ確実に失敗に終わるでしょう)。ほとんどの事柄において「多いほど良い――しかし、やがては悪くなる」ということが言えます。人々は自分たちが使う道具について、より洗練された理解を持たなければなりません。

問いかけるべき大きな問いは、「どれだけの助けが“助け過ぎ”なのか?」そして「実際に必要とされるものは何か?」(人々にとって、システムにとって、等々)です。たとえばシステム設計者の視点からすると、システムの安定性、回復可能性、リスクなどは、そのシステムが何のために作られたかよりも、はるかに重要です。プログラマーの多くは、システムの単純な目標にばかり関心を持ち、本当に重要なことを見落としがちです。

The first thing to understand about today’s “AI”s is that they are not at all intelligent (and just trying to get there by scaling is almost certainly doomed to failure). In most things, “More is better — until it is much worse”. People have to get sophisticated about their tools.

The big questions to ask are “How much help is too much help?” and “What is actually needed” (for people, for systems, etc.) For example, from a systems designer’s perspective, the stability, and recoverability, and risk, etc., of systems are much more important than what the system was made for. Programmer’s are mostly interested in simple goals for a system, and miss what’s more important.

コンピューターやAIによるサポートの適切なバランスは?

Question

コンピューターやAIはどこまで人を助けるべきか? その適切なバランスのお話が冒頭にあったかと思いますが、そのバランスがとても難しいと感じています。「間」含めて、先生のお考えやご意見がありましたら、ぜひ伺えますでしょうか。

Answer

この質問への回答は、前の質問への回答と似ています。もし人間を助けることが、その人にとって大切な何かを損なう結果になるのであれば、それは良くないアイデアです。とても単純な例として、私たちは子どもの靴ひもを一生結んであげるのではなく、自分で靴ひもを結べるように学ばせます。同じことを、思考プロセスを助ける際にも行わなければなりません。助けすぎれば、思考力の乏しい大人を生み出し、非常に危険な世界になってしまいます。

The answers here are similar to the previous question. If helping a human winds up ruining something important about them, then this is a bad idea. A very simple example, is that we don’t tie children’s shoes for the rest of their lives, but encourage them to learn to tie their own shoes. We have to do the same thing when we are helping with thinking tasks — too much, and we wind up with poorer thinking adults and a very dangerous world.

今後20年間、UIがもたらす人間中心の体験について

Question

長い歴史をご覧になってきた立場から、未来についてお伺いしたいです。GUIの75年の歴史を振り返ったうえで、今後20年間にユーザーインターフェースがどのような人間中心の体験をもたらすとお考えですか?

Answer

私は何年も前には、もっと良い答えを持っていました。UI体験が昔よりも全般的に悪くなるとは思っていませんでした――しかし実際にはそうなっています。ですから、今は満足のいく答えを持っていません。

I had better answers for this years ago. I didn’t think that UI experiences would generally be worse than in the past — but they are. So I don’t have a satisfactory answer.

入力デバイスの進化はGUIの概念をどう変えるのか?

Question

GUIの進化は常に、マウスからタッチスクリーン、音声入力に至るまで入力デバイスと密接に結びついてきました。AIや空間コンピューティングの時代に進む中で、入力デバイスの進化がGUIの概念そのものをどのように根本的に再構築していくとお考えですか?

Answer

これは良い質問です。私は常に「GUI」を単に「UI」と考えてきましたので、「グラフィックス」が主な問題ではありません。

改めて強調すべき主要な概念は「実際に必要とされているものは何か?」です。私は、それは単に「コントロール」だけではなく、常に「学習を伴う」ものであり、「ユーザー自身を形成する」ものでもあると考えています。初期の優れたUIのいくつかにはこれらの要素が含まれていましたが、今日の多くのUIにはそうしたものが欠けています。

音楽や楽器は良いアナロジーであり、UIを持つ芸術的な道具の実例でもあります。誰もが「バイオリン」を学びたいと思うわけではありませんが、バイオリンのUIを改善しようとすると、人間がそこから生み出せる音楽性の一部を失ってしまう可能性が高いのです。

一方で『Guitar Hero』(アメリカの会社が発売した有名なリズムゲームで本物のギターに似た専用コントローラーを用いてプレイする)のようなものは、音楽的な内容がほとんどなく、人間や音楽にとっては間違った方向に過剰に作用してしまっています。

興味深い考察対象として、ルネサンスから19世紀にかけての大規模な芸術作品があります。そこでは「巨匠」と弟子たちが存在し、巨匠が全体を設計し主要部分を担う一方で、絵画の多く(あるいは彫刻の場合は形作りの多く)は弟子を含むグループ全体で行われていました。私たちはその成果を(正しくも)「偉大な芸術」と見なしますが、それは単一の芸術家だけによるものではありません。

このように、「AI」を弟子のように用いる余地はあるかもしれません。しかし、それは「より良く、より理解可能で、教えることのできるツール」でなければ望ましいことではありません。

This is a good question. I’ve always thought of “GUIs” as just “UIs”, so “graphics” is not the main issue.

Again, the primary concept that needs to be identified is “What is actually needed?” — I think it will never be just “control” but will always also “involve learning” and “user shaping”. Some of the early good UIs had some of these elements, but many today don’t.

Music and musical instruments are good analogies, and also real examples of artistic tools with UIs. Not everyone will want to learn e.g. “violin” but it is hard to improve the UI of a violin without taking away some of the musicality that humans can produce through it.

However, something like “Guitar Hero” has almost no musical content, and — musically — it is doing much too much of the wrong thing for humans and music.

An interesting thing to ponder is large scale art works from the Renaissance up through the 19th century. There was a “master” and apprentices. The master did the main parts and designed the whole, but a lot of the painting (or shaping in the case of sculpture) was done by the entire group. We (rightly) think of the results as “Great Art” but not by a single artist. So there is a slippery area where you might be able to use an “AI” like an apprentice — this would not be a good thing without much better more understandable and teachable tools.

 

ご質問を多数お寄せいただき、ありがとうございました!
質問に真摯にご回答くださったアラン・ケイ氏に、この場を借りて心より感謝申し上げます。

アラン・ケイ氏からいただいた回答や貴重なメッセージを参考に、今後の技術開発とデザインに生かしていきましょう。

今回のセッションで、アラン・ケイ氏が「技術は人間の成長に貢献すべき」という本質的な問いを投げかけたように、UI UXデザインは、単なる見た目ではなく「使いやすさ」と「体験価値」が重要だということが学びとなりました。


下記にて、ニジボックスがクライアント課題に伴走する中で、磨き上げてきたUI UXデザインのプロセスや支援事例の一端を資料として一部ご紹介しています。
ご興味を持たれた方はぜひ、下記ダウンロードリンクよりご参照ください。

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監修者
監修者_古川陽介
古川 陽介
株式会社リクルート プロダクト統括本部 プロダクト開発統括室 グループマネジャー 株式会社ニジボックス デベロップメント室 室長 Node.js 日本ユーザーグループ代表

複合機メーカー、ゲーム会社を経て、2016年に株式会社リクルートテクノロジーズ(現リクルート)入社。 現在はAPソリューショングループのマネジャーとしてアプリ基盤の改善や運用、各種開発支援ツールの開発、またテックリードとしてエンジニアチームの支援や育成までを担う。 2019年より株式会社ニジボックスを兼務し、室長としてエンジニア育成基盤の設計、技術指南も遂行。 Node.js 日本ユーザーグループの代表を務め、Node学園祭などを主宰。

X:@yosuke_furukawa
Github:yosuke-furukawa